住職日梵より ブログトップ
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日本の誇り新幹線 [住職日梵より]

昭和39年10月1日午前6時。東京駅9番ホームでひかり 1号列車の出発式典が執り行われていた。発車のベルと同時に、 国鉄総裁によるテープカットが行われ、くす玉が割れる。50 羽のハトが飛び立ち、万歳三唱に送られて、ひかり1号列車が 静かに動き出した・・・

この当時、鉄道研究所には多くの旧帝国海軍飛行機屋が叡智を結集して開発に取り組んでいたとか。東京五輪を間近に控え、彼らはどのような思いで開通を見守っていたのだろうか。いや、彼らだけではない。国民一人一人が同じ気持ちを共有していたのではないだろうか。

今日は新幹線が開通してからちょうど50年。今朝はしっかりNHKの生中継を見て手を合わせた。
万雷の拍手と万歳三唱で送り出された往時を偲ぶと目頭が熱くなる[もうやだ~(悲しい顔)]

東京五輪の開催も決定し、先師先人への報恩の念たゆむことなし。[新幹線]

「仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」日蓮聖人御遺文『開目抄』

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江戸っ子最高だね! [住職日梵より]

母の手術で数日間帰京していたのだが、帰りの東京駅で新幹線に乗る直前、某大衆立食い寿司に立ち寄って数貫つまんだ。私はコハダとホッキ貝を頼んだのだが、隣の方がエンガワ2貫を頼んだので、板前さんは間違って私に前にホッキの代わりにエンガワを置いた。一瞬アッと思ったが、板前さんもすぐ気づき、そのエンガワを下げて新しく握り始めた。私は「板前さん!次エンガワ食いたかったから今の食うわ。あんがと」と言うと、大きな声で「ぅありがとうございまぁーす」と答えてくれた。その時伝票にササット何かチェックしたようだったが。会計後にレシートを確認すると、飲んだ冷酒八海山が焼酎に変更されていた。
粋だなあ。これだから江戸はやめられねーってーんだよ。日梵
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棚経中閑話(ありがとう菩薩団員) [住職日梵より]

 おはようございます。暦の上では今日から秋です。そして七日盆といって、本格的なお盆週間に突入いたします。今年の夏も各地で災害が発生しています。被害に遭われた方へのお見舞いと国土安穏を願ってやみません。

 拙僧も7月31日から恒例の棚経がスタートしております。分刻みのスケジュールが組まれ、お寺によっては数百件ものお宅に伺う寺院もあります。本当にお疲れ様です。数百件ともなると「あっという間」のお参りになるようですが、これは仕方ないですね。お坊さんがお経でお盆の扉を開いて下さったら、あとは皆様の「おも てなし」が何よりのご供養となるのではないでしょうか。

 もっとも拙寺はそこまで件数がないので余裕を持ってお参りできます。お参り後のちょっとした世間話でもすぐに時間がたちますが、コミュニケーションを大切にしたいので8月に入ったら盆明けまでお参りさせていただきます。

 先日、棚経期間中にご葬儀の依頼がありました。大切なお母様を亡くされたのです。人生で一度しかないご葬儀、精一杯お送りせねばなりません。家内が棚経を予定通知していた檀信徒様に事情を説明して、日程の変更を伝えました。皆様も「葬儀なら仕方ない」と理解を示してくださいます。おかげさまで素晴らしいご葬儀を執り行うことができました。感謝感謝です。

 ここで注意すべきことがあります。ここまで読むと「葬儀なら特例」となります。「日程も変更できたしよかった」となります。上から目線なら「あたりまえ」なのです。悪気が無いのです。でも、お盆中にお参りできなくなってしまった数件の皆様の中には本音を言えば「不本意だが仕方ない」と感じている方もあります。

 葬儀は最優先させます。しかし後日「あたりまえ」で終わらせずに個々の「仕方ない」をくみ取っていけば「ありがとう、ありがとう」に変化していきます。それが人間力であり信頼に繋がっていくのでしょう。


 仏教は仏道、尊い仏になる道です。そして仏になる近道は「菩薩行」です。他者のために生きること、しかも何事も「してやっている」や「これだけやった」ではなく「させていていただいている」といった謙虚な姿勢。他者のお手伝いで自らが助けられている。自らの功徳積みです。ひたむきな陰徳、その姿こそが菩薩です。そして他者から尊敬され、真の信頼を勝ちうるのでしょう。

 お釈迦様は35歳で悟られましたが、すぐ法華経を説きませんでした。衆生の魂レベルを見定めた後に晩年「一番伝えたかったこと」として説いた法華経は菩薩行のお経です。「自らを犠牲にしてでも他者のために生きよ」とおっしゃったお釈迦様。少しハードルは高いかもしれません。しかし、それは他者のためであると同時に自らの功徳です。先祖への回向です。愛する家族への安穏祈願です。

 お釈迦様は遺言で「自灯明・法灯明」とおっしゃいました。「他者がどうのこうのではない。教えに照らして自分がどう有るべきかだ。社会の評価や体裁、他者のふんどしで相撲を取らずに、自分のふんどしをしっかり締めよ」といった意味です。

 菩薩団諸氏も、灯火会では寝る間を惜しんで虫取りに行ったり、仕事帰りに卒塔婆書きを率先して志願したり、竹灯籠を蚊に刺されながら何百本も切って加工したり、知人に灯籠建立を勧めて、一般の人に法華経の縁を結ばせ、功徳積みをしていただくお手伝いをしたり、日頃活動に参加できないからといって、ふるまいの食材を自費で購入してくださったり、自らできる範囲で精一杯活動してくれています。灯火会以外でも年間を通して活動してくださいます。
顕示することなく、他者と比べることもなく粛々とひたむきに。菩薩団員が菩薩たる所以です。

その姿を見て、あまり活動に参加できない菩薩団員も常不軽菩薩のような合掌礼拝の修行を行うことができます。

 さあ、拙僧もきょうの棚経に出発します。ふんどしは締めませんが、袴の帯をしっかり締めて今日は城陽・田辺です。南無妙法蓮華経  日梵

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受刑者からのエール [住職日梵より]

教誨中、ある受刑者が拙僧を励ました。

「武士は顔は鋭く心に慈悲を抱き、僧侶は顔は慈悲で満ち溢れ、心は鋭くあれ」

武士は目先の敵を殺めるのが生業なるが故に常に慈悲を忘れてはならないが、僧侶は娑婆忍土で苦しむ衆生を救うために、慈悲深い眼差しを向けて安心せしむるが、敵は第六天の魔王が支配する煩悩。執着見栄や怨嫉に立ち向かわねば、自他の真の成仏得道を勝ち得ることができない。心は鋭く明王たれ。日梵
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喝ーーーーーー! [住職日梵より]

靖国神社のごった返す休憩所で生ビールと焼き鳥を頂戴していた。すると目の前を通った青年が口の中からチューインガムを吐き捨てて拙僧の前にポトリ。そのまま通過して行った。拙僧は、すかさず手に持っていた焼き鳥の串でガムを刺し、青年を追いかけ「あのー、口の中から落ちたみたいだけど拾ってあげたよ」と串を見せると、エッ、アッっと言いながら串をそのまま受け取った。「ゴミ箱はあそこにあるからちゃんと捨てといてね」と伝えるとしっかり捨てていた。そりゃ百キロ超級の巨体が串刺し突きつけて目が笑っていなかったら受け取るよね。日梵
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